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ハナちゃんといっしょ

ハナちゃんといっしょ

沖縄旅日記・その1

2004年4月29日~5月6日

●初めての沖縄●

私は九州に住んでいながら沖縄へは行ったことがありませんでした。その理由は遠い、航空運賃が高い、機会がなかったなどなど…。でも、やっぱり一度は行ってみたいところですよね。そしてある日、そのチャンスがやってきたのです。

それは2004年の春のことでした。友人たちの誰もが大型連休の計画を立てていた頃、アメリカ人の友だちのマンディから沖縄へ行かないかと誘われました。しかも、4月29日の出発で7泊8日で2万2千円という格安の航空運賃!1泊はホテルもついていました。なんでも、彼女の知り合いの南アフリカ人のローラが格安チケットを見つけ、ツアー名とを探しているということ。私の返事はもちろんイエ~ス!それに私とマンディの友だちのジェシカとアマンダ(共にアメリカ人)、ポール(カナダ人)、私の宿敵ハッサン(イギリス人)も参加し、5ヶ国7人のちょっとおかしな小旅行が始まりました。

2004年4月29日。福岡空港から那覇へ飛び、モノレールに乗って格安のホステルにチェックインしました。この半年前にジェシカとアマンダは沖縄を旅行していて、そのとき泊まったホステルでした。1泊1500円でした。沖縄には安いホステルがたくさんあります。それからお腹をすかせた一同は食欲を満たそうと国際通りに繰り出しました…って、おい!飛行機に乗る前にあんなに食っておいてまだ食べるつもりか?と、唯一繊細な胃袋を持つ日本人の私は絶句。

適当に入ったお店なので名前などは覚えていませんが、感じのいい店でした。みんな、沖縄名物のおそばやタコライスを注文しました。

みんなよく食べています。(撮影は私)
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お腹がすいていなかったけど、とりあえず沖縄らしい物を食べたかったので、氷ぜんざいを注文しました。沖縄の氷ぜんざいは氷の中に白玉と甘く煮た豆が入っていて、さっぱりしていておいしかったです。

ちょっとほじくってから撮りました。
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この店のトイレ。かわいいので撮っちゃいました。
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お腹がいっぱいになった後は、それぞれ国際通りや市場通りを歩きました。実は滅多にこんな大人数で旅行することのない私、とても心配でした。まず、集団でぞろぞろ歩くことが嫌いだし、人の意見に左右されるのが嫌な協調性のない人なので…。だから、知らず知らずのうちにみなの群れから外れていった…と思ったら、ローラがついてきている…。まあいいかと思い、2人でテクテク歩きました。国際通りは意外に町なのでびっくり。それに、日本なのになんだか日本ではないような雰囲気でした。

国際通りにて。私です。人形にチューしてます。
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ホステルに戻り、夕食へ行くメンバーたち)。お~い、昼ご飯食ったのは3時過ぎだぞ~。食欲の出ない私は、コンビニでおにぎりを買って、同室の女の子と話していました。その子は沖縄の子で、このホステルに住み込んで下の食堂で働いていました。意気投合し、宿泊中はいつも話をしていました。

翌日は渡嘉敷島へ行くので、私は早々と寝ました。しかし、まだ4月なのにエアコンなしでは眠れないなんて、さすが沖縄だ~。

●渡嘉敷島で初泳ぎ●

4月30日。沖縄小旅行2日目、私たちはみんなで渡嘉敷島へ行くことになりました。町中からタクシーを拾い港まで行き、フェリーで島に向かいました。正確な時間は覚えていませんが、確か2~3時間くらいで着いたような気がします。沖縄本島の海をきれいだと思ったのですが、本当を離れるにしたがってもっともっときれいになっていきます。そして渡嘉敷島へ到着。

上陸前です。
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港の海の色だけでも美しいのに、バスに乗ってビーチへ向かいました。山の上のほうを走るバスから眺めた海の色もすごくきれいで、ただただうっとり。心配していたのは、雨の影響で赤土が流れ出し、ビーチが汚れているかもしれないという話をホステルで聞いていました。しかし、そんな心配は何のその、バスを降りると美しい景色が目の前に…

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さあ、泳ぐぞ~とワンピースは脱ぎ捨てる準備は万全、しかしジェシカとアマンダは別の方向に歩いていきます。2人は二度目の渡嘉敷島で、もっときれいで人の少ない場所を知っているとのこと。ちょっと歩かなければならないし、暑かったのでみんなブツブツ言っていたものの、海の色を見たとたん機嫌は一気に直りました。

だって、こんな浜ですもの!
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散歩をしているおじいさんと孫たちらしき人以外、誰もいません。レンタルしたパラソルを立て、日焼け止めを塗ったらみんなそれぞれ初泳ぎやスノーケリングを楽しみました。4月に海で泳げるなんて、さすがは沖縄!でも、少し水は冷たかったです。

私はちょっと早めに上がって、周辺を散歩しました。初めて見るガジュマルの木や沖縄のお墓、そして美しいハイビスカスに感動。おばあちゃんが売っていた手作りのサータアンダギーを買い、ほおばりながら歩きました。これがおいしいのなんの!

沖縄のお墓。
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きれいなハイビスカスの花。
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これは普通のカメラで撮りました。
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お昼に食べたタコライス。おいしかった…
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この島だけではなく、沖縄へ来て思ったのは猫が多いです。私の好きな土地にはたいてい猫がたくさんいます。尾道然り、長崎然りです。

そしていよいよ帰る時間。浜を去る前に気付いたのですが…

ここは遊泳禁止でございました(笑)。
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帰りのバスの中でマンディが私に聞きました。
「こういう島に住みたいと思う?」
私の返事はNOでした。田舎に住んでいるとはいえ、車を走らせれば町にも行けるし、とりあえずほしいものは手に入る便利な生活をしています。本当にきれいで素敵な島だったけど、きっと寂しくて仕方がなくなると思うのです。マンディも同じ意見でした。

実はこの日、ローラの誕生日でした。那覇に戻ったらお祝いをしようと話していましたが、ホステルに戻ると思わぬトラブルが待っていたのでした…

出発前。みんなといっしょに。
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●トラブル&バースデー●

渡嘉敷島から本島へ戻り、ホステルでのんびりしてから夜の街に出かけようと思っていた私たちに、ちょっとしたトラブルが発生しました。それはホステルの部屋割りのこと。このホステルは以前ジェシカとアマンダが泊まりました。安いし清潔ということで、今回も予約。それを担当したのは日本語が流暢なポールでした。しかし、やり取りが不十分だったのです。

宿泊の初日と最終日はドミトリーのベッドに寝られるとのことだったのですが、ゴールデンウィークで予約がいっぱい、その間だけホステルの下のレストランの畳の部屋に宿泊することをスタッフは告げたそうです。もちろん男女の部屋は別れています。でも、10時まで営業なので、それ以前は部屋には入れないとも言いました。その部分をポールが聴き取れていなかったようでした。

私は安ければどこで寝ようがかまいません。京都では毎回廊下に穴の空いている汚いホステルに泊まっていますから。しかし、その他は不満に思い、怒り始めました。落ち込むポール、事情を通訳する私。ジェシカ、アマンダ、マンディはポールに同情していましたが、ハッサンとローラは顔を真っ赤にして怒りまくり、ホステルのスタッフに
「あなたたちの責任だから他にホテルを探してちょうだい!」
とまで言っていました。もちろん英語なので、ホステルの人は困惑顔。私は
「放っておけばいいんですよ。彼らも大人だから自分で対処できます」
と伝えました。

そして怒り狂う2人に告げました。
「ホステルの人は本当に申し訳なく思っている。もし彼らに他のホテルを探して欲しいのなら自分で言って。私はあの人たちはいい人だと思うから、そんなこと言いたくない」
2人は言いました。
「だって、私たちは日本語が話せない」
私も負けず、
「そんなの私の知ったこっちゃない。私はあなたたちの通訳じゃない」←冷たい?
ジェシカも
「ここは安いし、私も残る。行きたかったらどうぞ」
結局、2人もあきらめました。

トラブルはあったものの、この日はローラの誕生日でした。欧米人のいいところだな~って思うところ、それはケンカやトラブルをずるずる引きずらないところです。気を取り直すと、ローラにどこのレストランに行きたいのか聞き始めました。私だったら一度怒ってしまったらそれ以後もずっと怒っているだろうに…。こういうところは見習いたいものです。

ローラのリクエストでステーキを食べに行くことになり、夜のにぎやかな国際通りへ繰り出しました。手ごろな値段のステーキハウスへ入り、みんなはステーキを注文。私はゴーヤーチャンプルーと生ビールを注文しました。

沖縄で食べる初のゴーヤーチャンプルー。
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味はまあまあというか、私が作ったほうがおいしい…。後日ほかの店で食べたのはとてもおいしかったです。

店の外にて。バースデー・ガールのローラが撮影。
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それから外にあるジャマイカンバーでちょっとカクテルなんかも飲みました。

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ここで別行動。ローラはホステルに戻り、男性人はまた飲みに行き、残ったアメリカ人娘3人と私はアイスクリームを食べに行ったり、プリクラなんかも撮ったりして歩き回りました。

私は3人よりも先にホステルへ戻ったのですが、ローラはもう寝る準備をして本を読んでいました。レストランの座布団を敷布団代わりに使ってもよいことになっていたのですが、ローラがほとんど使っており、私たちに残されたのは2枚ずつ…。ちょっと唖然とした私。でも翌日、私たち4人はローラよりも早くホステルに戻り、ローラに2枚だけ座布団を残して床に就いたのでした…。
「目には目を、歯には歯を」

けっこう快適だったレストランのお部屋。
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●ぶらぶら市場通り●

5月1日。沖縄3日目にして、もう一人になりたい自分がいました。連日の集団行動、前日のホステル騒ぎでちょっとなんとなく疲れが出ていました。ローラ以外の一行は座間味島へ行くことになり、ローラと行動する気になれない私は近場を歩いて見ることにしました。初日に訪れて気になっていた市場通りを歩くことにしました。

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この市場通りではお店などで売っていた物、食べ物がやっぱり本土と違っていて、なんとなくもの珍しいのです。お土産物屋さんに入ってみてはおもしろいものを見て歩きました。ただ、自分はあまり物を買わない人だし、突飛な物をお土産として買ってももらった人が困るだろうと、この旅行期間を通してあまり変な物は買っていません。買い物話はまた後日ということで…。

さて、旅行の最大の楽しみは現地のものを食べること!早速見つけました、サーターアンダギーのお店。普通のものからいろんな味のものまで並んでいました。ただ、朝が早かったので揚げたては食べられず。それでも手作りの沖縄ドーナツを2個買いました。ほおばりながら歩く、これも知らない土地だからできること(←大分市内をバナナを食べながら歩いていて、人の痛い視線を浴びた経験あり…)。

次に見つけたのは、アイスクリームショップ。ここでも沖縄だけでしか味わえないフレーバーをと、ゴーヤー味とサトウキビ味のダブルを注文。ゴーヤーは意外においしかったです。サトウキビは甘すぎたけど、これもうまい!その隣でサトウキビジュースを売っている場所を発見!試飲しました。う~、甘い~~~!

そして入っていった場所は、地元の魚や野菜、特産品のお店でした。これぞマーケット!って感じです。色鮮やかな魚、大きな貝、見たことのない野菜や食べ物、そしていろんな種類のお漬物が並んでいました。豆腐よう、ウミブドウ、シマラッキョウ、いろんなお漬物、おいしく試食しました。シマラッキョウを買い、クール宅急便で自宅に送りました。これは本当においしかったです。

私の足じゃない!
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とても大きかったです。
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鮮やかなお魚たち。
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いろんな種類のお漬物。
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当然のことだけど、気候も違うから、育つものや獲れるものもちがうのでしょうね。同じ日本なのに、なぜか以前に旅行した台湾の方に似ているなって思いました。沖縄に来て、日本はやっぱりアジアの一部なんだな~って実感しました。他の場所へ行くと英語の看板だらけでアメリカみたいだけど…

それから私はやちむん通りに足を運んだのでした。

●沖縄の焼物●

市場通りを抜けたらたどり着いた場所、沖縄の焼き物の里であるやちむん通りです。この通りに入ってすぐのところにあるのが、那覇市立壺屋焼物博物館です。ガイドブックの写真で見たら、このやちむん通りは雰囲気がよさそうだし、沖縄にしかない焼物ならぜひ見てみたいと思っていました。しかし、今回いっしょに旅行したメンバー、焼物に興味がありそうなのは1人か2人、でも、地味な焼物を見るよりはビーチで満喫したい!ってタイプだったので、行かれるチャンスは一人でいられたその日だけでした。

私は焼物を見ることは好きだけど、作るとなったらそれは別のお話。とても苦手です。今まで作ったものは、縄文土器のような分厚い花瓶だとか、持つだけで手が疲れそうな重いカップだとか…。まともに作れたのって、ナスの形をした箸置きか小さな猫の置物だけですから。センスはてんでありません。

さてさて、この焼物博物館の展示は、沖縄の焼物の歴史、常設展示、復元民家、映像シアター、企画展示の5つのセクションに分かれています。

常設展の展示品。
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焼物の主な物には、荒焼(アラヤチ)という、釉薬(うわぐすり)をかけずに焼いた土のあたたかみが感じられるもの、上焼(ジョーチー)よいう、釉薬をかけて焼き、様々な色彩や飾り付けが見られるものがあります。上の写真は上焼が多いですね。

荒焼だと思われるシーサー。
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沖縄の焼物はなんだか赤いと思いませんか?これは後日糸満のタクシーの運転手さんが教えてくださったのですが、焼物用の赤土は糸満から運ばれるのだそうです。糸満ではタクシーの中から赤い土を見ました。

復元民家では、沖縄戦以前の壺屋の民家の台所部分が復元されていて、毎日の暮しで使われていた壺屋焼を紹介していました。また映像シアターでは、土地の人々が壺屋を語るのですが、わからん…沖縄の言葉で終わりました。

企画展示室で自主学習をしていた子どもたちも。
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博物館の外、ニシヌメー広場。普通のカメラで撮影。
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緑に囲まれたこの広場には、写真のような御堂や大きなガジュマルの木がありました。それから湧田の平窯という窯が展示されていました。これは現在の沖縄県庁の敷地にあっ瓦窯が移設されたそうです。

普通のカメラで撮影。
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写真はうまく撮れなかったので掲載しませんが、この博物館のトイレの手洗い場のシンクもなんと焼物。けっこう有名な方の作品のようでした。何から何までが壺屋の焼物でうめつくされた、素敵な博物館でした。

●やちむんまーい●

壺屋焼物博物館を出て、壺屋のやちむん通りを散策してみました。やちむん通りにはたくさんのスージクゥー(路地)があり、焼物に関わる文化財がたくさん残されています。壺屋は戦争の被害が少なかった地域なのだそうです。やちむん通りを歩きながら、スージクゥーをまーい。「まーい」は方言で探して歩くことだそうです。

情緒のある通りです。普通のカメラで撮影。
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那覇を歩いていて、どこへ行っても出くわすのはシーサーたち。屋根の上は普通にいるとして、交番の前にもいるし、道路の端にも舗道にも、広場にもどこに行っても姿が見えます。

屋根の上のシーサー。
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お店もシーサーばかり。ちょい高かった…
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以前、テレビでガレッジセールのゴリが、「クイズミリオネア」のパロディで司会者に扮し、
「ファイナルシーサー?」
なんてやっていたのを思い出してしまいました。

小腹がすいたので、この通りにある食堂に入りました。沖縄そばを食べてみました。普通のソーキそばなんかもあったのですが、メニューを見るとフーチバなんていうおそばがありました。聞いてみるとヨモギ入り。珍しいので注文してみました。

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ちょっと苦いけど、おいしかったです。暑い日には体によさそう。

それから、ガイドブックにも載っていた窯に到着。
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この窯に行く途中の壁も素敵でした。
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焼物屋さん、窯も多く、いろいろ見たかったのですが、あまりに暑くてへとへとだったので、あとはやちむん通りを歩くだけとなりました。

お店の壁もおしゃれね~。
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ここでやちむん通りもおしまい。ひめゆり通りに面したところに、すてきな井戸があり、大きなガジュマルの木が立っていました。

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それにしても、沖縄って犬や猫が多いです。犬なんて、県庁所在地の那覇なのに放し飼いが多く、小さなときに猛犬にすごい勢いで追いかけられたことがあり、それがちょっとトラウマになっている私はドキドキものでした。

ここから逃げるように去っていった私。でも撮影。
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まだまだ見所、撮影どころたくさんのやちむん通り、次回行く機会があったら、素敵な場所をまーいしたいと思います。それから、モノレールに乗って次の目的地を目指しました。

●世界遺産・首里城●

やちむん通りを離れ、モノレールに乗って向かった先は沖縄県立博物館でした。ここで展示を見たのですが、後日また行く羽目になったので、そのときにまとめて書きたいと思います。博物館を出てからまだまだ時間もありました。ホステルに戻っても暇だし、近くにある首里城へ行くことにしました。

首里城は1925年に国宝に指定されましたが、沖縄戦で焼失、完全復元されてまだ20年たっていません。しかし2000年には九州沖縄サミットの会場の一部となり、首里城跡、園比屋武御嶽石門、玉陵とともに世界遺産に登録されました。1993年に放映されたNHKの大河ドラマ「琉球の風」のロケ地にもされていた覚えがあります。あのドラマの影響で、私は沖縄の音楽が好きになって聴くようになりました。

さて、首里城公園に着くと、まず迎えてくれるのはこの守礼門です。
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守礼門は尚清王時代(1527~1555年)に創建されました。1958年に復元されています。門に書かれている「守禮之邦」とは、「琉球は礼節を重んずる国である」という意味だそうです。この周りは琉球の民族衣装を着たきれいなお姉さんたちが、観光客にも衣装を着せてと記念撮影なんかしていました。そしてなぜだか、猫が多いのなんの!

世界遺産のひとつ、園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)。
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この石門は、守礼門を通るとすぐあります。国王が出御のとき、道中の安泰をこの石門前で祈願しました。ちょうどこの時期、石門の周りにはデイゴが咲いていました。

城へ向かう途中。ユリが美しかったです。
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そしていよいよ城に入場…と思ったら、その前の広場でまもなく琉球舞踊があるというので、いちばん前の席を陣取って見ました。動きはゆっくりだけど、衣装も踊りも美しかったです。

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そしていよいよ正殿へ。
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なんて鮮やかな朱塗り!那覇を歩いていて異国情緒を感じることは度々あったけど、ここはもう別世界でした。日本の文化ではないです。台湾や中国、日本の影響を受けつつも、琉球独自の文化ですね。どちらかといえば、「チャングムの誓い」の宮廷のイメージに近い感じでした。

とにかく、人、人、人で、近くからしか写真が撮られませんでした。
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正殿内部も見学で来ました。ここは二階御差床(うさすか)。
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御差床とは王が座る玉座のことです。二階の御差床は、禅宗のお寺に見かける仏像を置く台、須弥壇(しゃみだん)によく似ていて、天井も高く、格式をつけているということです。

他にもいろんな門の写真を撮りましたが、載せるスペースが…。興味のある方は、私の旅専用ブログで写真をご覧ください。

高校の日本史の教科書の片隅にしか記載されていない琉球王国の歴史(1429~1879年)ですが、首里城を見たらいろんな文化を吸収した華やかな王朝だったのだな~なんて想像してしまいました。

●金城町の石畳●

首里城の周りにはところどころ見所の文化財があります。首里城公園を出たあと、首里金城町石畳道へ向かうことにしました。さて、外へ出たものの、私はちょっと方向音痴なので、どこへ行っていいのやらわかりません。これで今までよく一人旅ばかりしてきたなってくらいです。でも、まあ迷うのも楽しさのひとつですけどね(←いいように解釈)。…と思いつつも、やっぱりわからないので、タクシーの運転手さんに聞いたら道を教えてくれました。沖縄のタクシーの運転手さんって、乗車しなくてもとても親切です。

そんなこんなでたどり着きました。
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この金城町石畳道は、16世紀に主要道路として造られた石畳で、昔の風情が残る場所です。迷うだけあって、ちょっとここにつくまでの道は狭いです。石畳の脇には石垣、そしてその向こうには民家があり、人が住んでいます。民家には普通にパパイヤの木なんか立っていて、実をつけていて、やっぱりここは南国なんだと実感しました。

団体の観光客が石段を下り、坂道を歩いていました。私も少しだけこの道を歩きました。

石段を下から見上げると。
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この坂道をもっと下っていけば、ちょこちょこと見所があるようなのですが、小雨がぽつぽつと落ちてきたし、だんだん暗くなってきたのでホステルに戻ることにしました。残念!これで私だけの沖縄の休日は終わりです。残りの日々は友人たちと過ごしましたが、この自分だけの時間を持てたのであとはリラックスして過ごすことができました。

さて、ホステルに帰るとすでにローラが戻っており読書中、座間味島へ行った残りのメンバーも帰ってきました。夜は女子組、男子組に別れ食事に行きました。女子組は国際通りにあるタコスのお店へ行きました。それぞれ注文をし、さて食べるぞ~って時になると、私の隣に座っていたローラはコーラの瓶の口を指でふさぎ、これでもか~ってくらい降り始めました。いったい何をやってるの…と私たち4人はぽかーん。

散々コーラを振ったあと、ローラは瓶の口から手を離しました。すると、コーラがぷしゅ~っといわせながら炭酸が飛び散りました。私の白のパンツに直撃…沈黙。ジェシカとマンディもぽかーん。アマンダは
「あんた、なにやってんのよ!」
と切れていました。ローラは愉快そうに大笑い。その後もローラの奇行は続き、店の外の窓ガラスの向こうから私たちの写真を撮っていました。そのときもみんなぽかーん。フラッシュで反射して何も写っていないに違いない。

食事のあとはアイスクリームを食べたり、ショッピングを楽しんだりして夜は更けていきました。

●糸満の海で●

5月2日。沖縄4日目。この日はメンバー全員で糸満市に向かいました。平和祈念公園へ行くためです。欧米人の戦争に対する関心は深く、旅先で戦争に関する資料館があると行きたがる人はとても多いです。ということで、バスで糸満ロータリーまで行き、そこからバスを乗り継いで平和祈念公園へ行くつもりでした。しかし、バスの本数が少ない!仕方がないので、そこからタクシーに乗って行きました。

平和祈念資料館の前に咲いていたハイビスカス。
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資料館の前には戦時中の魚雷が。
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平和の礎。沖縄戦での戦没者の名前が刻まれています。
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まずは7人全員で沖縄県立平和祈念資料館を見物しました。ここでは琉球処分から日本化への道、住民の見た沖縄戦、戦争の証言、そして戦後の沖縄に関する資料が見られます。私も戦争に関係のある資料館にはあれば足を運びますが、どこで見ても悲惨なことには変わりがないと思いました。

平和祈念公園から見た糸満の海。
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さて、ここから5人(マンディ、ジェシカ、アマンダ、ポール、私)対2人(ローラ&ハッサン)に分かれ、私たち5人は公園内を散策しました。各都道府県ごとに石碑が立っています。大分県のものは祈念公園外にあるため、見ることが出来ませんでした。マンディのお父さんは日本人で、出身地の新潟県の石碑の写真を撮っていました。

それから、私たちは下の海に抜ける遊歩道を見つけました。海までの道は、資料館よりも戦争の傷跡が生々しく、衝撃的でした。遊歩道の脇道には、「ガマ」と呼ばれる防空壕がいくつもあるのです。ここでたくさんの人々が自決をされたのです。

花が飾られていました。
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ある大きな防空壕にたどり着いたとき、私は鳥肌がたって寒気がして、そこに近寄ることが出来ませんでした。学生さんたちが自決をした場所でした。

その岩肌に彫られた和歌。
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そして下の海に到着。この海辺の近辺に隠れ、ここで戦争があったとは思えないくらいの美しい海でした。きれいな海を見てみんなはしゃいでいたけど、やっぱりどこか感慨にふけっている様子でした。

きれいな海を背景に。ポール撮影。
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海の中のアメフラシがこんなにはっきり見えます!
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海を後にして上に戻る私たちは、今度は周りの景色を楽しみながら坂や石段を上りました。見たことのない植物、群生するエンゼルトランペットの花々、とてもきれいでした。このあとは遅い昼食をとり、また他の目的地へと向かいました。

●喜屋武岬とおもしろ運転手さん●

沖縄県平和祈念公園の次に向かった先は、沖縄本島最南端の喜屋武岬でした。ここでアマンダは偏頭痛を訴え、ローラも疲れたとのことで2人でバスで那覇に帰りました。残りの私たち5人は、喜屋武岬への行き方をタクシー乗り場で聞きました。すると、喜屋武岬まで行くバスはないので、タクシーで行くしかないとのこと。沖縄のタクシーの運転手さんて、本当に親切で、5人が乗れて、喜屋武岬までの道をよく知っている他のタクシーを紹介してくれました。

この運転手さんが本当にいい方で、喜屋武岬まで行き、それから那覇まで送ってくれることになったのです。それもたったの5千円で!1人頭千円です。安い!喜屋武岬までの道も、ひめゆりの塔がこの辺にあるだとか、ジョン万次郎が近くに上陸しただとか、いろんなことを話してくれました。といっても、そのお話を理解しているのは私とポールだけだったでしょう。

そして喜屋武岬に到着。
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とても見晴らしのいい海岸線で、断崖絶壁がず~っとつづいています。この断崖は、かつて戦火に追われた何万という人が逃げ惑い、追い詰められて身を投げた場所なのです。美しいけれど、悲しい場所でもあったのです。現在は沖縄戦跡国定公園に指定されています。

平和の塔にて。
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この平和の塔は、ここから身を投げた人々に平和を誓い、鎮魂を願って建立されました。

さて、このすぐ近くに灯台がありますが、ここへ行こうとしたら運転手さんに止められました。ハブがいるそうです。さすがの私たちもやっぱりハブは怖いので、やめておきました。

さて、楽しい帰り道。ほかの4人は疲れ果てていて無言。タクシーの中で居眠りする姿も。しかし、私は起きていました。なぜならば運転手さんがとてもおしゃべりだったから(笑)。でも、本当に楽しいおしゃべりでした。沖縄のいろんなお話を聞かせてくれました。

例えば、糸満の赤土でやちむん(焼物)が作られているとか、どんな農産物があるとか、デイゴの花の時期とか。この時期はちょうど花も終わりかけでした。また、近くにドラゴンフルーツの畑があれば教えてくれたりなんかも。

沖縄といえば琉球空手ですよね。運転手さんもなんと黒帯七段の腕前だそうで、すごい!私とハッサンも琉球空手の流派の一つをやっていると言ったら、わざわざ沖縄出身で現在カナダに移住して道場を開いているという有名な先生のお宅の前を車で通ってくれました。本当にどこまでも親切でした。

私も沖縄で神社やお寺をあまり見ない理由や宗教の質問をしたり、それにも答えてくれたり、神社のある場所を教えてくれたりしました。実は、その貴重なお話をあまり覚えていないおバカな私ですが…。

そうこうしている間に、那覇のホステルの近くに到着。心からお礼を言ってお別れしました。そこで、アマンダとローラの2人を発見!2人ともバスを乗り継ぎ、同じくらいの時間に那覇に帰り着いていました。2人には悪いけど、なんだか得をした気分になりました。

夜はローラ、ハッサン以外の5人で、沖縄家庭料理を食べに行きました。

●おいしいね、沖縄料理●

喜屋武岬から帰った私たちは、ホステルでのんびりしたり、インターネットカフェに行ったり、それぞれのんびり過ごしました。その夜の夕食は、私はどうしても沖縄の家庭料理が食べたいなと思っていました。ホステルで働く女の子に、おいしい沖縄料理のお店の場所を聞いていたので、そこに行かないかと友人たちに提案しました。

その晩、ローラとハッサンは琉球空手を体験をしに行く計画を立てていました。ハッサンは空手をしていたけど、なぜにローラが?そして2人は私を誘いました。しかし、私はこの2人がとても苦手。ハッサンとは前から仲が悪いし、ローラは初対面だったけど、この旅行でちょっと敬遠していました。自分も琉球空手のひとつを学んでいるし、本場の琉球空手に興味がないはずがありません。しかし、この2人とは行きたくない…

ローラ:「チカコ、空手の教室に行ってみない?」
私:「行かない。私たちは今夜、沖縄料理を食べに行くから」
ローラ:「沖縄料理?何があるの?」←ちょっと食いついてきた。
私:「ヤギ」
ローラ&ハッサン:「ヤギ?」
私:「そう、ヤギ」
ハッサン:「ヤギ…」←両手を広げるジェスチャーで、ため息。

ほかの4人のところに戻り、このやりとりを告げると、みんな大笑いして
「チカコ、Good job!!!」

そして、国際通りにある沖縄料理屋さんへ入りました。普通の大衆食堂のようなお店でした。店内では、三線を持った女性が、沖縄の音楽を歌いながら演奏していました。

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さて、私たちの注文したものですが、私、ジェシカ、アマンダはパパイヤと豚肉の炒め物にしました。マンディはゴーヤーチャンプルー、ポールはヘチマの炒め物、そしてマンディと私はいっしょに田芋の天ぷらを注文して分け合いました。

パパイヤと豚肉の炒め物。
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「青いパパイヤの香り」というベトナムの映画で、主人公がいつもパパイヤ料理を作っていたので、食べてみたかった料理でした。パパイヤの食感はもっとシャキってしていると思っていたけど、ほくほくしていておいしかったです。

ゴーヤーチャンプルーと田芋の天ぷら。
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マンディのゴーヤーチャンプルーを味見したけど、前にステーキハウスで食べたものより断然おいしい!田芋の天ぷらは沖縄版さつまあげのような感じで、甘くておいしかったです。

ポールのヘチマの炒め物も味見をさせてもらいました。これは彼の出身地の台湾でもよく食べられる食材だと言っていました。歯ごたえがあるというか、なんというか、不思議な食感。私好みの味でした。

おいしい沖縄料理に大満足の私たち、締めはもちろんアイスクリームです。沖縄ではほとんど毎日ブルーシールに通いづめ、いろんな味のアイスクリームを食べ続けました。幸せ…。

その後談…旅行から帰った私は、早速ゴーヤーとヘチマの種を購入して育てました。その夏は、沖縄料理の本を買い、ヘチマ料理にも初挑戦。味噌煮を作りました。ヘチマに慣れていない家族はあまり好きじゃなかったみたいです。おいしいのに…。ゴーヤーはいろんな料理のレパートリーが増えました。今年もゴーヤーとヘチマを育てています。でも、ヘチマは花を観賞するためです。とてもきれいなので…。


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